2012年5月25日金曜日

奨学金について思ったこと

最近、元気ないです。

寒いですからね。

みけです。


奨学金について


まあ、みなさんご存知ですね。

私は、親が頑張ってくれたお陰で、

二年間ほど留年しましたが、卒業するまでの学費を頂いて卒業させて頂きました。

まあ、でも最近は不況のせい(というよりは今までが異常だったんだ)もありまして、

学費が払えないので奨学金を申請する学生さんが多いようです。

もちろん、卒業してから返済できなくなる方もいらっしゃるらしいですが…


studygiftについて


はい、これも皆さんご存知ですね。

まあ、学費を集めるための理由とかはともかく、

そして色々と炎上している件についてもともかく、

目標金額を達成されたようで、

とりあえずおめでとうございます。


studygiftが抱えている諸問題について


随分あちこちで意見が出ているようです。

(サイトは忘れた。要出典)

まあ、特に気になったのは出資要請者の境遇というか、不幸っぷりというか、

そいういう表面に言い出しづらいことについての商品化について。

ここのブログの記事が比較的いいこと言ってますね。

  • 学費の有無はプライバシーに関する問題である。
  • 学費の有無に関する情報を公開して、共感を得たものが出資する。
  • つまり、プライバシーが商品となっている。

でも、これって、例えば、3.11の大地震で家族の生業が破壊されてしまった人などが、

自らの境遇について簡単に口にすることができるものなのか疑問を持ちます。

もし、発言できるとするならば、大地震のような劇的な境遇にも揺さぶられない、

学術への強烈な意志が求められると思います。


意志としての学術


私自身はおそらく受験戦争で最も過酷な世代に属していた人間で、

私の親は俗物的な根性の持ち主で、

たまたま滑り止めで受けた大学が有名国立大学ということもあって、

特に学術への意志なく無理やりに有名国立大学に入学しました。


学術への意志なく、特にやりたいことも見つからず、

ぼーっとすること二回ほど留年し、

挙句、成績かなり悪くてかろうじてというか追い出される感じで卒業しています。


周囲の同期の学生が、しっかりとした履修計画を立てて、

ちゃんと研究計画を立てて、卒論を制作していたのに比べて、

私は行き会ったりばったりの、綱渡り状態で履修・卒論をこなした記憶があります。


大学で学位を獲得するということは、

私のような無計画でその場限りの行動を取ってギリギリの単位を獲得してと

あくせくすることではなく、

自らの求める探究心から発する強烈な学術への意志を元に計画を立てて遂行していくもので

あると考えます。


今回のstudygiftの例では出資要請者の学術への意志というものが全く感じられなかったような気がします。


どのあたり?


件のページは彼女の売りであるGoogle+で一時的に日本一になったことなどが、

記載されていましたが、

学術のことが何も書かれていませんでした。

彼女は一体何を研究したいのでしょうか?


彼女が所属しているのは社会科学部という場所で、

一般知識で言えばマックス・ヴェーバーなどのやったことが該当する

学術領域です。


こういう学部では、映画とか、芸術、写真など、

いわゆる古典的な文学部では扱わないような

文化から、政治、思想、建築、経済といった幅広い領域の

研究を行えます。


それこそ、彼女の得意としていた写真を研究対象として、

「写真の共有に関する現象学」とかというテーマで研究を行なっても、

全く問題無いと思うわけです。


ページの片隅に、「もっと勉強したい」という記述はありました。

しかし、一体何をどのように勉強したいのでしょう?


大学というのは研究機関なので、

中学生までの義務教育や、教育内容がある程度固定化されている高等学校の教育とは異なり、

何故それを研究するのか、どのように研究するのか、その研究が与える影響はいかなるものか、

こういった学術への欲望、手順、そしてその影響というものを徹底的に明らかにしていく場所なのです。


だから、「もっと勉強したい」という受動的な姿勢ではなく、

「何故、勉強しなければならないのか?」という積極的な姿勢を記述して欲しかったと思います。

(もちろん、そこには彼女の現状と計画も記述しておくべきですが…)

(そしてこんなこと偉そうに言える立場でもないですけど…)


入社予備校としての大学


まあ、多分彼女としては早稲田大学卒業の肩書きが欲しかったというのが、

本音でしょうが、

受動的な学生の増加については社会の側にもある程度責任というかなんというか、

問題があるのかなという気がしなくもありません。


新卒採用の募集要項に四年生大学卒業って、

多くの企業が書いたら、

そら、皆、四年生大学行くわ…


それに、大学側もサポートするわ…


二年生の終わり頃から就職活動に向けての

活動始めるよな。


で、新卒で採用されなければ、

まあ、社会人失格ということで

学業よりも就職活動優先させるよな…


というわけで、このあたりの社会のレールの綻びというか、

矛盾というか、なんというか、

そのあたりが今回のような奇妙な事案を産んでしまったのではないかと

思うわけであります。


うまくまとまっていませんが、なんか、そんなところです。









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